なぜ今ごろになって2週間も前の「ぎっくり腰の話」を書いているのか

3月11日の地震以来、震源地から離れた東京でも異常事態は続いている。福島の原子力発電所は決死の放水の甲斐あって小康状態のようだ。不安と心配の1週間だった。

そんなわけで書きわすれていたことを書いておく。
そもそも、地震が来る前の1週間、僕はぎっくり腰だったのだ。情けないことである。

なにか重いものを持ち上げるとか、無理な姿勢をとるとか、そんなきっかけで発症するものだと思っていたが、そうではなかった。その前日から、背中がなんとなく張っているなあ、と思っていたがジョギングで5km走ったり、デスクで仕事したり、確定申告の書類を作ったり、まあ、普通に暮らしていたわけだ。その朝、早めに出て税務署によってから出社しようと玄関に出たときからちょっと背中が痛くなってきた。肩でも凝りすぎると痛くなるけれど、そんな感じ。税務署までは歩いて15分くらいだけれど、その間、何度も背中が引攣る。痛くてたまらない。だましだまし歩いて税務署に行き、列に加わる。5分も待たされはしなかったのだが、その間何度も引攣るので「ひい!」と顔が歪む。端で見てたら変な人でしかない。税金払うのが嫌でたまらない人に見えたかもしれない。

かなりヤバそうなので、ヨロヨロ歩いてなじみのスポーツ整形の接骨医に向かう。「硬くなってるねえ」ということで電気治療とテーピングをしてもらい一安心。「会社休めないの?」「約束があるから行かないと」という会話があって、湿布薬をもらい駅へ向かった。さっきより楽、と思ったのは勘違いで駅についたらもう立派な腰抜けヨロヨロおじさんになっていた。背中の引攣りも間隔を置かずに襲ってくる。ヒイ。出社を断念。家に逃げ帰る。約束はすべてキャンセル。申し訳ない。

寝ていても、背中の引攣りが襲ってくる。背中の下、腰の上、に響くだけで激痛。体の芯を体幹というらしいが、腕を動かしても足を動かしてもそのあたりの筋肉は連動しているのだなあ、と今さらながら感心する。ウトウトとすると、からだが寝返りを打とうとして、激痛。ぜんぜん眠れない。細切れに数時間寝て、朝になるのを待った。長い夜だった。

再度接骨医へ。治療をしてもらいながら「これってぎっくり腰かなあ」と訊くと「決まってるじゃん。ぎっくり腰だよ」と言われてびっくりする。ぎっくり腰は、原因じゃなくて症状のことなんだなあ。ヘルニアとか重症の人には申し訳ないほど軽症のぎっくり腰。幸い、わが家にあった腰のサポーターが役に立った。腰を固定できるので、引攣りのきっかけが減り、ずいぶん楽になった。全治3週間。

以来、酒もやめて運動もやめて、自重の日々だったところへ今回の地震。被災地の人々の境遇に比べれば呑気以外の何ものでもないが、試練の3月だ。

なぜスーツにヘルメットをかぶって表参道をぞろぞろ歩いたのか

地震である。今から書くのは真っ最中のことを忘れない為に書くのであって、危急の内容ではありません。岩手の被災地にいる友人が安否も知れない状況で自分の事を書くのは暢気に思うが、記録として書き留めておく。

11日午後3時少し前だった。オフィスのデスクで座ってメールを書いていると椅子の下から小刻みな震動が伝わって来た。近くの同僚と「地震?」と顔を見合わせたら、ぐらりぐらりと揺れ始めた。ビルの9階は揺れが大きい。大きな揺れの繰り返しで立っていられない。近くに置かれていた背の高い観葉植物の鉢が大きな音を立てて横倒しになり、土が散乱した。パーティションが倒れ、固定されていなかった本棚、キャビネットが次々に倒れて悲鳴が上がった。デスク脇のキャビネットが引き出しを開けて床を走る。「ガラスの壁から離れろ!」「棚に近づくな」「机に潜れ」と声を掛け合う。東京育ちだから地震には慣れている。でも、こんな大きな揺れは初めてだ。命に危険を感じたのもたぶん初めてだ。長い揺れだったが、落ち着いたのでデスク下の緊急袋を探してヘルメットをかぶる。余震が来るぞ、と云っていたら果たして、再び大きく揺れた。これも長かったが、倒れる物は先に倒れてしまったのか、ぐらりぐらりと揺れるばかりだった。ビルから逃げ出すか、という判断は「現在火災が起こっていないのでビル内の方が安全とおもわれます」という社内アナウンスで思いとどまった。
でもオフィスの中はめちゃくちゃだ。

家族の無事を確認しようとしたがどちらも繋がらない。ヨメと長女にメールで自分の無事を伝え、安否を問う。ヨメは次女と都内の施設にボランティアに出かけているはず。就職活動中の長女はどこか?携帯も自宅の電話も繋がらないので判らない。母の部屋もお話中で繋がらない。電話が集中しているにちがいない。焦れていると、会社の電話にヨメから着電。帰宅しようと地下鉄のホームにいたところで警報が鳴り、揺れ始めたのだと云う。揺れる中を地上へ脱出して、今来た道を取って返し、施設の電話からかけているらしい。「携帯家に忘れて来た・・・」という。馬鹿者、でも無事で何よりだ。次女のお子様携帯があってよかった。
長女からはメールが来た。「今虎ノ門。入社試験を受けていたけれど、中止になりました」おお、それなら新橋まで来られるな?
「わかった、行ってみる」という。母親とも連絡がとれ、無事だと云う。ほっとする。

この揺れでは交通機関は当分動くまい、と思っていたら、3時にアポがあった人たちが現れたのでたまげた。君たち凄すぎ。丁寧にお礼を述べて、きょうの打ち合わせはキャンセルとさせていただく。だって、家の無事も会社の無事も未確認だというじゃない。ここにいて仕事してる場合じゃないよ。

倒れた物は、再度倒れそうなのでそのままにして、散乱していた物だけ拾い集め、床の空間を確保した。長女から会社の前にいると電話。エレベーターが使えないので階段で迎えに行く。階段の壁にはひびが入ってところどころ破片が落ちている。会社前の広場に大勢の避難して来た人々がいる。ヘルメットをかぶっている人が多い。当然僕もかぶっている。大きな頭に入るヘルメットで良かった。長女を見つけ、思わず抱きしめる。

会社のロビーにヘルメットを持たせて長女を待機させ、僕も撤収の支度をする。ここから見える山手線は止まったままだ。徒歩で帰るしかあるまい。帰るなら早い方がいい。暗くなると疲れが倍増する。日頃の自転車とジョギングで家までの最短距離の道は熟知している。

近い者は帰宅せよ、遠い者は社内に留まってよし、と個人に判断を任された。非常持ち出し袋に最低限度の書類とタオル、折り畳み傘、ミネラルウォーターを入れる。ヘルメットを新たに調達して、娘を連れて会社を脱出した。同僚の大半は社内に残る事を選んだようだった。湘南とか、千葉とか、歩くわけには行かないだろう。

大きな通りはもう渋滞が始まっている。歩道は帰宅する人々でいっぱいだ。旧い場所、神社仏閣がある場所は地盤がよい、ということを聴いたことがあるので、ちょっと遠回りでもその周囲を歩くことにした。長女はほっとしたのか、少々ハイである。この状態が切れないように家に帰り着かねばへばってしまうだろう。道中、たいやきを買ったり、観光案内をしたりして疲れさせないようにつとめた。ブラタモリの要領である。

サイレンの響く街を、増上寺、赤羽橋、麻布十番六本木ヒルズ、とあるいて青山墓地にさしかかったころにはとっぷりと日が暮れた。麻布ゼッコウ釜無村のモクレン寺についたころにはみんなくたびれた、などと云っている場合ではなく、アドレナリンが出てる間にどんどん歩くのだ。墓地は暗いが石灯籠などが倒れている。震度の大きさを物語る。

青山通りへ出ると、帰宅の人々が凄い人数だ。車道は渋滞でぜんぜん動いていない。遠くでサイレンが聴こえる。帰宅難民という言葉が思い浮かぶ。長女は足が痛くなったという。履き慣れない就活用パンプスを脱ぐと、指先が血まみれだ。爪が食い込んでいるのだ。三丁目の交差点にあった靴屋さんはもう閉店していたが、頼んで開けてもらい、歩きやすそうな靴を売ってもらう。ぺたんこのドライビングシューズの方が歩きやすそうなのに、低いとはいえヒールがある方を選ぶ娘。「就活に使えるから」とこの期に及んでそれかよ。しかもそっちはセール品だし。けなげなやつだなあ。思わず両方買いそうになったが2万円の靴を2足はあとで破産する。とにかく、ここで靴を買ったのは大正解だった。ありがとう、GEOXさん。

青山通り自転車屋さんに人が詰めかけている。なるほど、そういうサバイバルの方法もあるなと感心する。みな自転車のハンドルをしっかり握りしめて会計の順番を待っているようだ。他人にとられまいと必死の表情に見える。異常事態に東京全体が浮き足立っている。

表参道のブランドショップは当然だが軒並み閉まっている。でもときどきショーウィンドーを見入っている人もいる。その気持ち、よく解る。遠足のようにはしゃいで歩くサラリーマンたちも、ひとりでなくて、仲間がいてよかったね。

途中のビルはガラスが落ちたのか、歩道が規制されていて車道を通るようになっていた。原宿の駅はシャッターが降ろされている。長い行列が出来ていたが、おそらくはバス待ちだろう。でもこの渋滞ではバスは滅多に来るまい。歩くに限る。国内国外を問わずここにいる観光客たちはどれほど不安な事だろう

代々木公園をへて、代々木八幡、代々木上原と通り、池ノ上へ出たら下北沢はすぐそこだ。井の頭線の踏切が鳴っていたので、復旧したのかと思ったらそうではなく、電車が至近距離で止まっているので鳴りっぱなし、ということのようだった。安全を確認して遮断機を潜る。異常事態のなせる技だ。

下北沢の灯が見えて、長女が元気をとりもどす。開いている食べ物屋さんもあるので温かいものでも食べようか、というと「ママも帰ってくるから、テイクアウトで買って帰ろう」という。えらい。そうしよう。韓国料理のお店に入って、テイクアウトでズンドウフとクッパを注文する。お客さんは少ないのに、営業していて君たちもエラいなあ。テイクアウト計画は大正解。帰宅してから何か作る気力は誰にも残ってなかった。ズンドウフは辛くて温まって元気が出た。

駅前の踏切も閉まったままだ。駅前にはいつもよりは少ないがそれなりに人はいる。あきらかに帰宅難民が多い。家に向かうとiPhoneを見ながらきょろきょろしている女性が二人。声をかけると方向が分からないという。世田谷は迷いやすい。ましてすでに7時すぎで暗く、見通しも利かない。途中まで一緒に歩いて、わかりやすいところまで案内する。

自宅はとりあえず無傷。母も無事。ほっとする。42型のテレビが台ごとリビングの中央に移動している。仕舞いそびれていたひな人形が倒れていたり写真立てが落ちていたり。重いレコードプレーヤーやiMacのモニターが移動している。寝室の本棚は無事だが重ねていた本が崩れて散乱している。被害は「ぼんぼり」が床に落ちて壊れたくらいか。

と思ったら、我が家の給湯設備がダメになっていた。

我が家は太陽光で暖房、給湯をまかなうOMソーラーというシステムなのだが、このお湯をためる「蓄熱槽」のタンクが壊れて水が漏れていたのだった。母のところに来ていた姉が見つけて、止水栓を閉めてくれたので事なきを得たが、気がつかなければ朝までだだ漏れで、風呂でも沸かそうものなら爆発していたかも知れない。不幸中の幸いである。

そうこうしているうちにヨメと次女が帰って来た。ボランティアのお仲間に近くまで送っていただいたのだという。よくもまあ、あの交通麻痺の中を。プロのドライバーは凄いなあ。ありがたいことである。家族全員が無事揃って心底ほっとした。

夜はひとつの寝室に集まって寝たが、揺れるたびに目が覚めた。しかし自宅で家族で揃っている幸せを考えればなんの問題があるだろうか。僕らは神様に生かされているのだ。会った事もないが神様、ありがとうございました。

なぜ本屋で電気釜を買ってもなんの違和感もないのか

amazonについて考えた。

もともと、僕にとってamazonは本屋さんで、CD屋さんだった。それも洋書洋盤。当時の国内では手に入りにくいもの、値段が割安なものを買うサイトだった。外国から「個人輸入」するのと同じ感覚で利用していたと思う。イエナで20000円くらいで毎年買っていた本が12000円くらいで買えたし、CDも品揃えが豊富で渋谷のタワーレコードで買うよりも安かった。でも、せっかく東京に住んでるんだし、なるべくならリアルな店舗で買いたいと思うのが人情である。で、それほど頻繁には利用しなかった。
2005年頃から、それ以外のものを買うようになっていた。ふつうに買うと値引きの少ない消耗品、たとえば外国製電動歯ブラシの交換用ブラシとか、プリンターの純正インクとか。その次がPC系のパーツやソフト、サプライ系のものと、文具系のもの。それが高じてきて空気清浄機やデジカメ、昨日はついに電気炊飯器までポチッとしてしまった。

昔、新宿のカメラ店電気屋に化けていったのと同じように、僕の中のamazonは急速に巨大量販店になっている。これはもはや売り場がリアルからバーチャルに置き換わっているだけではなくて、僕の買い物への姿勢自体を変えていると思う。店舗で商品知識を得たり、欲しくなったりするプロセスを省いているのだ。だからといって商品情報をWEBで詳しく調べているかというと、必ずしもそういうわけでもない。必要なタイミングで、良さそうなものを妥当な金額で発注するだけ。最低限のチェックはするが、こだわりとか、ブランドとか、ほとんど機能してない(amazonの信用がブランドとして機能して、多少の価格差ならamazonを選ぶと云うことはある)。amazonが僕の消費行動を変えていると云うより、世の中の消費行動が変わっていくのにあわせてamazonが変化しているのかもしれない。

次はたぶん食品だ。我が家が米をamazonで買う日も近いだろう、と思ったらもう売ってるじゃん。

なぜご無沙汰でしたも言わずに買い物自慢なのか

あ、と気がつけば3月だ。
なんだかきっかけを失っていたけれどまたblog書かないとなあ。

なぜそう思うかというと、今やっていることなんかあっという間に忘れてしまうからです。情けないことです。この前、電気釜が壊れて、何とかだましだまし使っていたのだけれど、朝起きてみればタイマーが動いていないということが時々起こる。つまり電気釜に人間がだまされているわけです。これではいけない。朝、メシが炊けていないというのは家族にとって重大事件です。餅でも焼けばいいや、と言うとヨメに叱られます。

最近の電気製品は脆弱ですぐ壊れると思ってイライラしていましたが、実はそれほどすぐではなかった。調べてみたら2006年の12月に買った電気釜でした。webに書いていた記事で、電気釜君がまる4年働いてくれていた事が判明したわけです。なるほど、つまらぬことでも書いておくと役に立つものです。

で、今日はamazonに電気釜を発注しました。HITACHIの圧力IH炊飯ジャー。名前はもっと長い。いろいろカタログを読んで高級機も研究しましたが、三万円も五万円もお金をかける意味がよく分からなかったので、無難な線に落ち着きました。

これで次に壊れたときに役に立つ記事になることでしょう。

なぜ地図に走ったコースを書き込んで悦に入っているのか

昨日書いたジョギングのコースを地図に書き入れてみた。

なるほど、そうだったのか。正直なところこの地域についてはまったく土地鑑がなかったのである。池袋って近いんだなあ。これからは走ったところを書き込んでいくと面白そうだ。

なぜ「神田川」と「さよなら・今日は」がジョギングのテーマなのか

連休なのに雪で走れなかった鬱憤を晴らさんと、日曜は遠くまでジョギングすることに決めて下北沢の家を出た。

これといって目的地があるわけではなかったので、とりあえず北に向かう。走りながら考えて、そうだブラタモリで目白をやってたなあと思う。あっちの方にはどうやって行けるかと考えて走っていたら中野区で神田川に出くわした。そうだ、神田川を下っていけば早稲田のあたりに出るに違いない。

神田川といえばかぐや姫である。

貧乏くささの極致である。あの時代は古い木造モルタルの傾きかけたアパートにしみったれて暮らすのがちょっと誇らしかったりしたのである。川と云うより臭いの漂うドブであったろう。ロマンチックのかけらもないのに、そこに共感を得たのは時代のなせる技であろう。
しかし、今の神田川の水は清んでいる。沿って植えられた桜が大きな枝を川に伸ばし、花の季節はさぞや美しいだろう。もはや河岸には高級マンションが軒を並べているのである。当時の木造アパートの清貧なカップルも今はメタボになり果てて、ここに暮らしているのだろうか。

そんなことを考えながらどんどん走っていく。幸い神田川に沿って遊歩道が整備されている。ところどころ途切れることもあるが、たまに散歩の人がいるくらいで、いたって走りやすい。山手通りを渡るとそれまで東に向かっていた川は北上を始める。西新宿のはずれを通って中央線を潜り、小滝橋へと至る。落合の水処理の施設を過ぎて西武新宿線に突き当たるようにして再び東へ曲がる。このへんで遊歩道はなくなり、山手線が遠くに見えてくる。ここで神田川とさよならして西武線を渡り下落合の丘を駆け上がる。坂道の左には屋敷跡なのか広い落ち着いた庭園が見えた。品のいい静かな住宅街である。

下落合といえば「さよなら・今日は」である。

といってもふつうの人には訳がわからないだろう。70年代に日本テレビで放送していたテレビドラマのロケ地が下落合だったのだ。今どきは不動産屋さんの戦略で成城学園も田園調布も、果ては国立まで山の手らしいが、本来の山の手ってこの辺の住宅街なのだと思う。ここを舞台にしたおしゃれなドラマがあったのである。父親は山村聡、子供は浅丘ルリ子中野良子大原麗子栗田ひろみという豪華この上ない美女姉妹だった。
同じ東京とはいえ多摩育ちの少年には縁遠い世界。原田芳雄の役名が母方の曾祖父さんと同姓同名という心細い偶然しかないが、まあ、好きでよく見ていた。主題歌は坂田晃一作曲の「愛の伝説/まがじん」だった。これは今もお気に入りでiPodにはいつも入れている。

そんなことを考えながらどんどん走っていくと住宅街なのにアウトドアのお店がある。へえ、こんなところにと看板を見上げたらpatagoniaと書いてある。ああ、これが噂に聞く直営店であったか。さらに進むと目白通り。知り合いの事務所があったりするので局地的には知っていたけれど、こういう地理であったとは。

さらに北に進むと踏切だ。また西武線。こんどは池袋線であろう。渡ってから線路に沿って東に向かう。すると山手線が西武線とクロスしている場所に出た。後で気づいたが、ここはもう池袋のすぐそばなのだった。跨線橋を渡り、明治通りに出た。

住所表示は雑司ヶ谷鬼子母神の参道があって、そこを下っていくことにした。都電の踏切を渡る。荒川線であろう。このへんはお寺が多いなあ、と思っていたらどうやら昔の鎌倉街道らしい。古い道なのでくねくねしている。再び目白通りを渡って古い家並みを辿っていくと新目白通り面影橋へ出た。神田川に今日は、というわけである。ここを川に沿って左に行けば早稲田に出るのだろう。が、ちょっと疲れてきたので新宿にまっすぐ向かうことに決め、学習院女子のあたりから明治通りの広い歩道を走ることにした。

明治通り沿いは地下鉄が整備されたこともあるのだろう、建築ラッシュである。新しい大きな建物がどんどん造られている。とはいえ、広い道路はつまらない。歌舞伎町のあたりで繁華街に入る。夜はきらびやかで猥雑なエネルギーがある場所だが、日曜の明るい時間の歌舞伎町は薄汚れたまま大人しくうずくまっている。

西武新宿駅へ着いたところで、2時間経過。このへんでいいや、と自分勝手にジョギング終了。そのあとは何年ぶりかで「麺屋武蔵」へ。遅いランチを食べてから、小田急線で下北沢へ帰りました。

気ままなジョギングは詮索好きな性格にぴったりで楽しい。自転車よりも気分的には自由である。けっきょく2時間で17kmとちょっと走りました。

なぜ早起きしてR.シュトラウスのオペラを聴いているのか

ここ数日は雪と寒さに怖じ気づいて玄関を開けるのもおっくうだ。しぶしぶ朝刊を取りに出ると郵便受けに注文していたCDが。よく冷えている。今は当たり前のようにイギリスから届く。

個人輸入の時代からやっていることだからそれ自体は感心するまでもないが、当時は国内入手が難しいものを買っていたのに、今では値段も安いし、時間もさしてかからないのには大いに感心する。
ここのところ物欲制御期間なので本やCD購入を控えているのだが、聴いておかないといけない事情があって、R.シュトラウスの「ばらの騎士」全曲を購入した。三枚組。指揮はカラヤンamazonマーケットプレイスから注文したら1週間ほどで到着。

R.シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」(Richard Strauss - Der Rosenkavalier)全曲(3枚組)

R.シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」(Richard Strauss - Der Rosenkavalier)全曲(3枚組)

録音は古いが音はいい。「ばらの騎士」はウィーン風、早い話がモーツアルト風のオペラ。聴いてる方は楽しいが、音がモーツアルトのオペラに比べると現代的で、リッチに感じる。オーケストラピットがぎゅう詰めになりそうなほど楽器が多いのか、オーケストレーションの進化なのか。

R.シュトラウスの他の曲に比べて小難しくないので、早朝なんとなく流しておいても気分がよろしい。コーヒーが飲みたくなる。