なぜ「神田川」と「さよなら・今日は」がジョギングのテーマなのか

連休なのに雪で走れなかった鬱憤を晴らさんと、日曜は遠くまでジョギングすることに決めて下北沢の家を出た。

これといって目的地があるわけではなかったので、とりあえず北に向かう。走りながら考えて、そうだブラタモリで目白をやってたなあと思う。あっちの方にはどうやって行けるかと考えて走っていたら中野区で神田川に出くわした。そうだ、神田川を下っていけば早稲田のあたりに出るに違いない。

神田川といえばかぐや姫である。

貧乏くささの極致である。あの時代は古い木造モルタルの傾きかけたアパートにしみったれて暮らすのがちょっと誇らしかったりしたのである。川と云うより臭いの漂うドブであったろう。ロマンチックのかけらもないのに、そこに共感を得たのは時代のなせる技であろう。
しかし、今の神田川の水は清んでいる。沿って植えられた桜が大きな枝を川に伸ばし、花の季節はさぞや美しいだろう。もはや河岸には高級マンションが軒を並べているのである。当時の木造アパートの清貧なカップルも今はメタボになり果てて、ここに暮らしているのだろうか。

そんなことを考えながらどんどん走っていく。幸い神田川に沿って遊歩道が整備されている。ところどころ途切れることもあるが、たまに散歩の人がいるくらいで、いたって走りやすい。山手通りを渡るとそれまで東に向かっていた川は北上を始める。西新宿のはずれを通って中央線を潜り、小滝橋へと至る。落合の水処理の施設を過ぎて西武新宿線に突き当たるようにして再び東へ曲がる。このへんで遊歩道はなくなり、山手線が遠くに見えてくる。ここで神田川とさよならして西武線を渡り下落合の丘を駆け上がる。坂道の左には屋敷跡なのか広い落ち着いた庭園が見えた。品のいい静かな住宅街である。

下落合といえば「さよなら・今日は」である。

といってもふつうの人には訳がわからないだろう。70年代に日本テレビで放送していたテレビドラマのロケ地が下落合だったのだ。今どきは不動産屋さんの戦略で成城学園も田園調布も、果ては国立まで山の手らしいが、本来の山の手ってこの辺の住宅街なのだと思う。ここを舞台にしたおしゃれなドラマがあったのである。父親は山村聡、子供は浅丘ルリ子中野良子大原麗子栗田ひろみという豪華この上ない美女姉妹だった。
同じ東京とはいえ多摩育ちの少年には縁遠い世界。原田芳雄の役名が母方の曾祖父さんと同姓同名という心細い偶然しかないが、まあ、好きでよく見ていた。主題歌は坂田晃一作曲の「愛の伝説/まがじん」だった。これは今もお気に入りでiPodにはいつも入れている。

そんなことを考えながらどんどん走っていくと住宅街なのにアウトドアのお店がある。へえ、こんなところにと看板を見上げたらpatagoniaと書いてある。ああ、これが噂に聞く直営店であったか。さらに進むと目白通り。知り合いの事務所があったりするので局地的には知っていたけれど、こういう地理であったとは。

さらに北に進むと踏切だ。また西武線。こんどは池袋線であろう。渡ってから線路に沿って東に向かう。すると山手線が西武線とクロスしている場所に出た。後で気づいたが、ここはもう池袋のすぐそばなのだった。跨線橋を渡り、明治通りに出た。

住所表示は雑司ヶ谷鬼子母神の参道があって、そこを下っていくことにした。都電の踏切を渡る。荒川線であろう。このへんはお寺が多いなあ、と思っていたらどうやら昔の鎌倉街道らしい。古い道なのでくねくねしている。再び目白通りを渡って古い家並みを辿っていくと新目白通り面影橋へ出た。神田川に今日は、というわけである。ここを川に沿って左に行けば早稲田に出るのだろう。が、ちょっと疲れてきたので新宿にまっすぐ向かうことに決め、学習院女子のあたりから明治通りの広い歩道を走ることにした。

明治通り沿いは地下鉄が整備されたこともあるのだろう、建築ラッシュである。新しい大きな建物がどんどん造られている。とはいえ、広い道路はつまらない。歌舞伎町のあたりで繁華街に入る。夜はきらびやかで猥雑なエネルギーがある場所だが、日曜の明るい時間の歌舞伎町は薄汚れたまま大人しくうずくまっている。

西武新宿駅へ着いたところで、2時間経過。このへんでいいや、と自分勝手にジョギング終了。そのあとは何年ぶりかで「麺屋武蔵」へ。遅いランチを食べてから、小田急線で下北沢へ帰りました。

気ままなジョギングは詮索好きな性格にぴったりで楽しい。自転車よりも気分的には自由である。けっきょく2時間で17kmとちょっと走りました。