なぜ本屋で電気釜を買ってもなんの違和感もないのか

amazonについて考えた。

もともと、僕にとってamazonは本屋さんで、CD屋さんだった。それも洋書洋盤。当時の国内では手に入りにくいもの、値段が割安なものを買うサイトだった。外国から「個人輸入」するのと同じ感覚で利用していたと思う。イエナで20000円くらいで毎年買っていた本が12000円くらいで買えたし、CDも品揃えが豊富で渋谷のタワーレコードで買うよりも安かった。でも、せっかく東京に住んでるんだし、なるべくならリアルな店舗で買いたいと思うのが人情である。で、それほど頻繁には利用しなかった。
2005年頃から、それ以外のものを買うようになっていた。ふつうに買うと値引きの少ない消耗品、たとえば外国製電動歯ブラシの交換用ブラシとか、プリンターの純正インクとか。その次がPC系のパーツやソフト、サプライ系のものと、文具系のもの。それが高じてきて空気清浄機やデジカメ、昨日はついに電気炊飯器までポチッとしてしまった。

昔、新宿のカメラ店電気屋に化けていったのと同じように、僕の中のamazonは急速に巨大量販店になっている。これはもはや売り場がリアルからバーチャルに置き換わっているだけではなくて、僕の買い物への姿勢自体を変えていると思う。店舗で商品知識を得たり、欲しくなったりするプロセスを省いているのだ。だからといって商品情報をWEBで詳しく調べているかというと、必ずしもそういうわけでもない。必要なタイミングで、良さそうなものを妥当な金額で発注するだけ。最低限のチェックはするが、こだわりとか、ブランドとか、ほとんど機能してない(amazonの信用がブランドとして機能して、多少の価格差ならamazonを選ぶと云うことはある)。amazonが僕の消費行動を変えていると云うより、世の中の消費行動が変わっていくのにあわせてamazonが変化しているのかもしれない。

次はたぶん食品だ。我が家が米をamazonで買う日も近いだろう、と思ったらもう売ってるじゃん。