なぜ食事を三日抜いた揚げ句にあれこれ考えているのか

食欲というものはどこから来るものなのだろうか。

胃袋が空になると空腹を感じる、という仕組みだと単純に思っていた。朝になると空腹で、昼になると空腹で、夕方になるとおやつを摘みたくなって、また夜になれば空腹だ。その度に自分でふさわしいと思っている食べ物を手に入れ、胃に入れる。朝は白米、味噌汁、納豆。昼はチャーハンや麺類。おやつはチョコレート。夜はビールと焼き魚とか。しかしこれは習慣に過ぎないのではないか。

日曜の夜、なんだか胸焼けがするなあ食べ過ぎたかなあ、と思っていたら月曜の明け方になって上から下から大惨事になってしまった。尾籠な話で申し訳ないが、身体が取り入れた食べ物を拒否し始めると止める術がない。涙目で便器を抱えつつ、さては何か食べ物に中ったかとも思ったが他の家族は全員無事である。どうやら、「風邪が胃に来た」様子である。
大騒ぎも終わったので気を取り直してシャワーを浴び仕事に出かけたが、内臓が動かないと頭も動かず、早々に退散して家で休むことにした。丸一日絶食。食欲などまるで湧かぬのだから当然だ。

翌日も仕事を休ませてもらい、約束をしていた先輩に不義理をし、お師匠様にも詫びを入れて、じっと家にいたがやはり食欲が湧かぬので食事はナシ。水分だけはとらねばとスポーツドリンクを飲んでいる。これで丸二日絶食。

翌々日は朝から体調は問題なし。しかし食欲は出ないので朝食を控えて、仕事先でもランチを遠慮して、結局口にしたのはスポーツドリンクだけ。夕方オフィスから駅へ向かう繁華街で、ふと気づいた。

空腹は自覚しているのに、食欲というものがない。

ふだんは飲食店から流れてくるいい匂いに心惹かれる。それぞれのお店がアピールする看板に魅力を感じつつ歩く。新しい店が出来ていれば好奇心も湧く。ところが、自分の中にそういう反応が一切無いのに気がついた。例えて云えば居並ぶ美女が色っぽくおいでおいでをしているのに何も感じない、といった風情。ようするに食に対して鈍感になっている。

ふーん、なるほど。いつもは決まった時間に三食摂る習慣を続けてきただけで、実は空腹と食欲と習慣は別々のものであったのか。その証拠に、こうして3日間の断食をしていても、実生活には何の支障もない。もちろん身体の中の貯金を食いつぶして活動しているには違いなく不健康極まりないが、ハンガーノックに陥るとか、気が遠くなるとか、イライラして落ち着かないとか、そういったネガティブは全く出来しない。これは実に驚きだ。。

自覚として血液型O型の原始人なので、生命とりわけ食い物への執着は動物的な本能と信じていたのである。腹が減れば不安で何も考えられなくなる。空腹時にえさを与えられると「ウホウホ!」と欣喜雀躍する。事実そうだった。家族そろってO型なので、家族そろってそうだった。それが、これはどうだ。食への執着が消えてしまった。

結局はその晩も食べずに寝ることにして、三日間の偽ラマダンを終えた。たぶんこんなに長い時間食事をしなかったのは自分史上初めてだ。訳のわからない達成感とともに眠りについた。腹が減っても眠れるものなのだ。

4日目の朝の食事は忘れられない。米の味が「隅々まで広々と」ある。味噌汁の野菜の甘みが深い。卵焼きの味が複雑に美味い。どれも途轍もないものだった。鈍感になっている?いや、感覚は敏感になっているじゃないか。

この敏感さはランチに普通のラーメンを食べたときには消えてしまっていた。非常に残念である。また機会をみて断食してみるか、と考えている自分が居る。

三度の食事をする習慣には戻った。空腹の自覚もある。以前のような食欲が蘇るかは、まだ不明。