なぜスーツにヘルメットをかぶって表参道をぞろぞろ歩いたのか

地震である。今から書くのは真っ最中のことを忘れない為に書くのであって、危急の内容ではありません。岩手の被災地にいる友人が安否も知れない状況で自分の事を書くのは暢気に思うが、記録として書き留めておく。

11日午後3時少し前だった。オフィスのデスクで座ってメールを書いていると椅子の下から小刻みな震動が伝わって来た。近くの同僚と「地震?」と顔を見合わせたら、ぐらりぐらりと揺れ始めた。ビルの9階は揺れが大きい。大きな揺れの繰り返しで立っていられない。近くに置かれていた背の高い観葉植物の鉢が大きな音を立てて横倒しになり、土が散乱した。パーティションが倒れ、固定されていなかった本棚、キャビネットが次々に倒れて悲鳴が上がった。デスク脇のキャビネットが引き出しを開けて床を走る。「ガラスの壁から離れろ!」「棚に近づくな」「机に潜れ」と声を掛け合う。東京育ちだから地震には慣れている。でも、こんな大きな揺れは初めてだ。命に危険を感じたのもたぶん初めてだ。長い揺れだったが、落ち着いたのでデスク下の緊急袋を探してヘルメットをかぶる。余震が来るぞ、と云っていたら果たして、再び大きく揺れた。これも長かったが、倒れる物は先に倒れてしまったのか、ぐらりぐらりと揺れるばかりだった。ビルから逃げ出すか、という判断は「現在火災が起こっていないのでビル内の方が安全とおもわれます」という社内アナウンスで思いとどまった。
でもオフィスの中はめちゃくちゃだ。

家族の無事を確認しようとしたがどちらも繋がらない。ヨメと長女にメールで自分の無事を伝え、安否を問う。ヨメは次女と都内の施設にボランティアに出かけているはず。就職活動中の長女はどこか?携帯も自宅の電話も繋がらないので判らない。母の部屋もお話中で繋がらない。電話が集中しているにちがいない。焦れていると、会社の電話にヨメから着電。帰宅しようと地下鉄のホームにいたところで警報が鳴り、揺れ始めたのだと云う。揺れる中を地上へ脱出して、今来た道を取って返し、施設の電話からかけているらしい。「携帯家に忘れて来た・・・」という。馬鹿者、でも無事で何よりだ。次女のお子様携帯があってよかった。
長女からはメールが来た。「今虎ノ門。入社試験を受けていたけれど、中止になりました」おお、それなら新橋まで来られるな?
「わかった、行ってみる」という。母親とも連絡がとれ、無事だと云う。ほっとする。

この揺れでは交通機関は当分動くまい、と思っていたら、3時にアポがあった人たちが現れたのでたまげた。君たち凄すぎ。丁寧にお礼を述べて、きょうの打ち合わせはキャンセルとさせていただく。だって、家の無事も会社の無事も未確認だというじゃない。ここにいて仕事してる場合じゃないよ。

倒れた物は、再度倒れそうなのでそのままにして、散乱していた物だけ拾い集め、床の空間を確保した。長女から会社の前にいると電話。エレベーターが使えないので階段で迎えに行く。階段の壁にはひびが入ってところどころ破片が落ちている。会社前の広場に大勢の避難して来た人々がいる。ヘルメットをかぶっている人が多い。当然僕もかぶっている。大きな頭に入るヘルメットで良かった。長女を見つけ、思わず抱きしめる。

会社のロビーにヘルメットを持たせて長女を待機させ、僕も撤収の支度をする。ここから見える山手線は止まったままだ。徒歩で帰るしかあるまい。帰るなら早い方がいい。暗くなると疲れが倍増する。日頃の自転車とジョギングで家までの最短距離の道は熟知している。

近い者は帰宅せよ、遠い者は社内に留まってよし、と個人に判断を任された。非常持ち出し袋に最低限度の書類とタオル、折り畳み傘、ミネラルウォーターを入れる。ヘルメットを新たに調達して、娘を連れて会社を脱出した。同僚の大半は社内に残る事を選んだようだった。湘南とか、千葉とか、歩くわけには行かないだろう。

大きな通りはもう渋滞が始まっている。歩道は帰宅する人々でいっぱいだ。旧い場所、神社仏閣がある場所は地盤がよい、ということを聴いたことがあるので、ちょっと遠回りでもその周囲を歩くことにした。長女はほっとしたのか、少々ハイである。この状態が切れないように家に帰り着かねばへばってしまうだろう。道中、たいやきを買ったり、観光案内をしたりして疲れさせないようにつとめた。ブラタモリの要領である。

サイレンの響く街を、増上寺、赤羽橋、麻布十番六本木ヒルズ、とあるいて青山墓地にさしかかったころにはとっぷりと日が暮れた。麻布ゼッコウ釜無村のモクレン寺についたころにはみんなくたびれた、などと云っている場合ではなく、アドレナリンが出てる間にどんどん歩くのだ。墓地は暗いが石灯籠などが倒れている。震度の大きさを物語る。

青山通りへ出ると、帰宅の人々が凄い人数だ。車道は渋滞でぜんぜん動いていない。遠くでサイレンが聴こえる。帰宅難民という言葉が思い浮かぶ。長女は足が痛くなったという。履き慣れない就活用パンプスを脱ぐと、指先が血まみれだ。爪が食い込んでいるのだ。三丁目の交差点にあった靴屋さんはもう閉店していたが、頼んで開けてもらい、歩きやすそうな靴を売ってもらう。ぺたんこのドライビングシューズの方が歩きやすそうなのに、低いとはいえヒールがある方を選ぶ娘。「就活に使えるから」とこの期に及んでそれかよ。しかもそっちはセール品だし。けなげなやつだなあ。思わず両方買いそうになったが2万円の靴を2足はあとで破産する。とにかく、ここで靴を買ったのは大正解だった。ありがとう、GEOXさん。

青山通り自転車屋さんに人が詰めかけている。なるほど、そういうサバイバルの方法もあるなと感心する。みな自転車のハンドルをしっかり握りしめて会計の順番を待っているようだ。他人にとられまいと必死の表情に見える。異常事態に東京全体が浮き足立っている。

表参道のブランドショップは当然だが軒並み閉まっている。でもときどきショーウィンドーを見入っている人もいる。その気持ち、よく解る。遠足のようにはしゃいで歩くサラリーマンたちも、ひとりでなくて、仲間がいてよかったね。

途中のビルはガラスが落ちたのか、歩道が規制されていて車道を通るようになっていた。原宿の駅はシャッターが降ろされている。長い行列が出来ていたが、おそらくはバス待ちだろう。でもこの渋滞ではバスは滅多に来るまい。歩くに限る。国内国外を問わずここにいる観光客たちはどれほど不安な事だろう

代々木公園をへて、代々木八幡、代々木上原と通り、池ノ上へ出たら下北沢はすぐそこだ。井の頭線の踏切が鳴っていたので、復旧したのかと思ったらそうではなく、電車が至近距離で止まっているので鳴りっぱなし、ということのようだった。安全を確認して遮断機を潜る。異常事態のなせる技だ。

下北沢の灯が見えて、長女が元気をとりもどす。開いている食べ物屋さんもあるので温かいものでも食べようか、というと「ママも帰ってくるから、テイクアウトで買って帰ろう」という。えらい。そうしよう。韓国料理のお店に入って、テイクアウトでズンドウフとクッパを注文する。お客さんは少ないのに、営業していて君たちもエラいなあ。テイクアウト計画は大正解。帰宅してから何か作る気力は誰にも残ってなかった。ズンドウフは辛くて温まって元気が出た。

駅前の踏切も閉まったままだ。駅前にはいつもよりは少ないがそれなりに人はいる。あきらかに帰宅難民が多い。家に向かうとiPhoneを見ながらきょろきょろしている女性が二人。声をかけると方向が分からないという。世田谷は迷いやすい。ましてすでに7時すぎで暗く、見通しも利かない。途中まで一緒に歩いて、わかりやすいところまで案内する。

自宅はとりあえず無傷。母も無事。ほっとする。42型のテレビが台ごとリビングの中央に移動している。仕舞いそびれていたひな人形が倒れていたり写真立てが落ちていたり。重いレコードプレーヤーやiMacのモニターが移動している。寝室の本棚は無事だが重ねていた本が崩れて散乱している。被害は「ぼんぼり」が床に落ちて壊れたくらいか。

と思ったら、我が家の給湯設備がダメになっていた。

我が家は太陽光で暖房、給湯をまかなうOMソーラーというシステムなのだが、このお湯をためる「蓄熱槽」のタンクが壊れて水が漏れていたのだった。母のところに来ていた姉が見つけて、止水栓を閉めてくれたので事なきを得たが、気がつかなければ朝までだだ漏れで、風呂でも沸かそうものなら爆発していたかも知れない。不幸中の幸いである。

そうこうしているうちにヨメと次女が帰って来た。ボランティアのお仲間に近くまで送っていただいたのだという。よくもまあ、あの交通麻痺の中を。プロのドライバーは凄いなあ。ありがたいことである。家族全員が無事揃って心底ほっとした。

夜はひとつの寝室に集まって寝たが、揺れるたびに目が覚めた。しかし自宅で家族で揃っている幸せを考えればなんの問題があるだろうか。僕らは神様に生かされているのだ。会った事もないが神様、ありがとうございました。