なぜ矢作俊彦の小説は時間の流れがゆっくりでも小気味いいのか

矢作俊彦の「夏のエンジン」を読んだ。

ずいぶんまえに雑誌NAVIで連載していた「クルマが登場する短編小説」集。登場人物は様々だ。10歳の小学生と男女三人組のバンドとワーゲンのバン、中年にさしかかった男と大学を出る直前のガールフレンドとカブトムシ、夏の空き地に置かれた血の染みのついたベレットGTと周りに佇む若者たち。銀行強盗と縦目のメルセデス。横浜の濁った海にゆっくり落ちて行くミニクーパーと男、その音を背中で聞く女。それぞれの物語が矢作俊彦ならではの映像的で、漫画のコマ割りのように時間をジャンプする台詞回しで語られる。いつのまにか引き込まれている。舞台もいい。オリンピックの頃の麻布。サイゴン陥落の日のメキシコ。それぞれが象徴的で、空気の匂いがする。

前から僕の本棚に積んだままだったのだが、いつ買ったのかも憶えていない。背表紙が日に焼けている。古本屋で100円で買ったんだっけ。

今は文庫になっているらしい。

夏のエンジン (文春文庫)

夏のエンジン (文春文庫)