なぜ教会の卒業礼拝は寒くてつまらない挨拶を聴かされるのにホットな気分なのか

versaloft2008-03-18


長女の高等学校で卒業式に出席した。

そういえば自分の高校卒業のセレモニーなど恐ろしいほどに何も憶えていない。ただ決められた時間に学校へ行き、所在ないまま講堂に座り、どうでもいい話を聞いて別れた。それだけのことだった気がするがそれさえも曖昧。ブラスバンドの先生に挨拶に行き、話を聞き、そのまま浪人生活に突入したのだったと思う。もうこの学園へ来なくてもいいという気持ちはあったかもしれない。なにしろ幼稚園から高校まで14年間も同じ敷地の中にある学校に通っていたので、そういう意味での開放感はあったけれど、僕は当時受けた大学軒並み落っこっちゃってたから自由も何も無かったものね。

そんなオヤジの想い出に比べれば、なんてハッピーな卒業式であろうか。ほとんどの生徒は現役でそれなりの大学に進学するのだと云うし。おめでとうおめでとう。君たちはちゃんと努力と苦労があってここまで来たんだよね。偉いよ、立派だぜ。小学生時代からの親仲間で、「なんだか、天気もよくて、よかったねえ」と励まし合うような、いたわり合うような挨拶を繰り返す。

デジカメ大活躍。お揃いのガウンと座布団帽姿の娘たちをひたすら撮りまくる。

うれしいな。ぼくは12年間君たちの成長を見続けてきて、誇りに思うし、だいいちとても幸せだよ。ありがとうありがとう、といいながらシャッターを押し続ける。大丈夫。1000枚撮ってもまだまだメモリは足りてるぜ。