なぜ立ち食いそばで年齢を実感するのか

時間がないときに、立ち食いそばは便利なものである。

思えば、日本のファーストフードのチャンピオンは立ち食いそばだと思う。寿司ももともとはファーストフードだったのだろうが、現在では一部を除いてそういうメリットで売ってはいないよね。あ、回転寿司はそうかもしれない。
立ち食いそばは何処の駅前にもあって、電車の乗り換えの寸暇を食事時間にして、ローコストで済ましてしまおうというご同輩によって盛んである。メニューも、温かいか冷たいか、うどんかそばか、具は何にするか、と言う具合でとてもシンプルだ。

立ち食いそばが大好きだ、とは云わないまでも、必要なら食べる。
なにより血液型はO型だ。腹ぺこには弱いのだ。温かいそばを食べれば、3時間は機嫌良く過ごせる。

で、会社の近くの立ち食い蕎麦屋に行ってみた。が、しょっぱくてたまらない。
足を伸ばせば、うどんとそばのつゆを別に作っている立ち食い蕎麦屋もある。が、最寄りでなければ意味がない。僕はしょっぱいと思うが、他のお客さんはそう思わないようで、それなりに客は入っている。どうやら、僕のしょっぱいリミットを越えているらしい。

もう年齢的に立ち食いそばの塩分について行けないんだなあ。そういえば少し前から、美味しいと云われるラーメンを食べに言っても最後まで食べられない。年齢を実感する。この種の変化は寂しくてならない。