なぜ「がんがん」の想い出は心を温かくするのか

東宝ビルトがなくなるという記事を今朝の新聞で読んだ。

といっても、普通の人はそんなものの存在は知らないだろうし、記事の中でもウルトラマンの撮影スタジオとして語られているだけだ。僕は80年代の後半に、CMの撮影の仕事で、このスタジオによく通った。

とにかく場所がわかりにくい。駅から遠いので車を運転して行くのだが、成城の駅から世田谷通りを越えて、細い道を山の中に分け入っていく感じ。一歩通行に幻惑されると、迷いに迷ってとんでもないところに出てしまう。地図を渡しておいても初めての人が時間通りに到着することは希だった。そんな世田谷らしい起伏の中にあって、敷地の裏から見下ろすと、東名高速が見えた。

当時、スタジオとしてはすでに古かった。外観も古ぼけているし、スタジオ内は土間である。そこにステージを組むのである。地面だから杭が打てる。そういう便利で安いスタジオだ。古くても、撮影にはなんの問題もない。最近のモダンで清潔なスタジオとは隔世の感があるけれど。映画屋さんのバンカラな気風が残っている場所だった。広告畑の僕にはとても珍しく、ちょっと楽しくて、撮影がここのスタジオに決まると少し嬉しかった。

冬の撮影はメチャクチャ寒い。ほとんど外と変わらない。で、スタジオさんが「がんがん」を持ってきてくれる。「がんがん」とは早い話が石油缶にくべられた焚き火だ。手提げの針金がついて、缶の周りに通気の穴がぼこぼこ開けられている。プリミティブである。円谷プロの怪獣達も、これで暖をとったのだろうか。僕らも「がんがん」を囲みながら、フィルムのチェンジや、美術の建て込みが終わるのを待った。紙コップの珈琲で手を温めながら、頬を赤くしてベテランの監督やプロデューサーの話を聞くことが出来た。そんな幸せな時代。

最近はずいぶん綺麗になっていたみたいだけど、僕はご無沙汰で、すっかり忘れていたら今日の記事である。
さらばさらば、ありがとう東宝ビルト。