なぜメニエール病の話をしていると話が長くなるのか

メニエール病って、何?という話。

突発性難聴という病名は文字通り症状を表現しているだけだ。原因は不明である。しかしメニエール病って何?
突然医者に宣告されたその病名に、僕はひたすらビビッたのだった。

だって怖いじゃん。

家庭の医学を読んでみると。耳が原因の病気で「眩暈、難聴、吐き気」がセットになっていて、ひたすら不安を煽る。歩けないとか、社会生活が難しいとか。なんだか怖いことばかり書いてあった気がする。

医者からは精神安定剤や、なんだかやたらに薬を処方されるばかりだった。しかも「発作」は容赦なくやって来る。会社にも行けない。使い物にならない自分がいるのに耐えられなかった。

時々聞こえてくる耳鳴りはつーんとするだけの、どうってことないものだった。発作がなければ普通の生活だ。でもある日、明け方にただならぬ音に目が覚めた。頭の中でパイプオルガンが鳴っている。山下洋輔が10本の指と肘と、両足ですべてのキーとバルブを全開にしたような恐ろしい音だった。

僕は発狂した。
少なくとも、そう信じた。

耳鳴りが治まるまで30分もかかったろうか。僕は怯えた。

そんな耳鳴りは一度だけのことだったが、左耳はほとんど聞こえなくなっていた。会社を休んでばかりもいられないので、仕事には復帰して、端からは普通に見えていたと思う。

それからしばらくして海外研修がいきなり決まった。わずか3週間ほどの出張であるが、前から希望していたので状況もわきまえず嬉しかった。朝から晩まで英語の講義。緊張で最初の一週間は何事もなかった。週末、かなりしんどくなってきたのでホテルのマッサージに行った。

「?すごい肩が硬いけど、いったいどうしたの?」

タイ人のマッサージのおばさんが呆れるほど肩だけでなく全身の筋肉がごりごりに固まっていた。そういえば耳もさらに遠い。うう、疲れたからひたすら寝たいンだよう。

かくして最終日の朝、僕はベッドから起きあがれずにいた。目が回っていたからだ。トイレとベッドを往復してさんざん吐いた。クラスメイトに息も絶え絶えに電話して、体調が悪いから午後から出るよと伝えた。このころはトラベルミンなどの乗り物酔いを止める薬だけが頼りだったっけ。
午後、修了証をひとりひとり渡される。壇上で講師のビルが、やっと出てきた僕の肩に手をかけて何か言っているが、よく分からない。立っているのがやっとだ。顔は引きつったように笑っているが、心は朦朧としていた。よく立っていられたものだと思う。

無事に成田に帰り付いたときには心底ホッとした。

それからも発作は何度も襲ってきた。会社でダメになるときもあり、電車の中で恐ろしい眩暈に襲われたこともある。銀座通りの電柱にしがみついて眩暈が去るのを待ったときのことは忘れられない。道行く人からは泥酔したサラリーマンに見えただろうか。

自分が壊れていくと感じるほど恐ろしいことはない。僕は怯えていた。

もともと、僕らには夫婦で仲良くしていた医者がいた。専門外とは知っていたが、ある日彼を訪ねた。

「ふーん、メニエール症候群なんだって?」

それに続いて彼の云った科白が衝撃だった。

「それね、一生治らないよ」

(つづく)