なぜ分子生物学の本を読んでいるとオーボエの響きが聞こえてくるのか

versaloft2008-01-07


初心忘るべからず、というのは志した頃の新鮮な気持ちを忘れるな、と言う意味ではない。俺って下手くそ、という満ち足りないイライラした気持ちを忘れるな、と言う意味である。と、教えてくれたのは年上の友達だ。

うまくいかない、落ち着かない焦燥感こそが青春の証だと年を重ねた最近はつくづく思う。どんな天才でも秀才でも、それはあるものらしい。「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)福岡伸一を読んでいて、科学者の静かな実験室でもそれは同様なのだと知った。生き馬の目を抜くような証券や為替の取引と同じように他の研究機関との熾烈な競争が存在していて、そこに属する科学者個人はその状況の不安と焦燥感にわずかな自信で立ち向かうしかない。この本は科学解説の形を借りた青春小説だと思った。

少女マンガの「のだめカンタービレ」も同じように若い芸術家達の不安と焦りがコメディとして描かれている。人並みはずれた才能の持ち主達も、集まれば周りと自分を比較して焦燥の念に駆られる。マイペースに見えても実態は決してそうではない。なぜうまくいかないのか、自分を追いつめて「勉強」や「練習」に没頭するしか、不安を打ち消す方法はないのだ。のだめの監修でしばしば名前の出るオーボエ奏者の茂木大輔さんが、ヨーロッパでの修業時代の話を書いていて、それこそ独房のような狭い部屋に閉じこもってオーケストラオーディションに挑戦し続ける様子が凄まじい。また、後年その部屋を再訪して感慨を新たにする話もあったように思うけれど、やはりそうして壁を突破し続けるしか才能を開花させることはできないのだろう。

いくつになっても、巧くできない、思うように出来ないという気持ちはある。諦めるか、乗り越えるか、で年寄りになってしまうかどうかが決まる気がする。