なぜ日本人は本来理科系ではないかと思うのか

唐突だけれどblogを書くという行為は日本人的だなあと思った。
日本人は日記を書くのが性に合っている。伊勢日記だの更級日記だの日記文学もその証拠かもしれない。戦争中も敗走していく日本軍のあとに克明な日記が沢山残されていて、敵軍は呆れつつ、ずいぶん感心したらしい。もっとも実用的に日記を必要としていたのは農民だという。たしかに農業をする上で、正確な暦と、過去の記録は欠かせないものだったろう。いつ種をまいたらいいかわからないと困る。急に虫が増えたら次に何が起こるのか、雷が多い年は稲はどうなるのか、データは大切だ。歴史的に日本人の大半は農民だったはずで、遺伝子の中に毎日の記録を残したい衝動が隠されているのかもしれない。

で、話は飛ぶけれど、農民というからには「理科系」だろう。農学部なら理科系だ。

つまり日本人のほとんどは本来「理科系」なのではないか。

大学を受験するときに数学がの点数がいいどうか、数学をやる気があるかどうかで、単純に選択(あるいは振り分け)される「理科系と文化系」の区別だけれど、ほんとうはそんなにレベルの高い数学でなければ、日本人の遺伝子はクリアしていくのではないかな。そういった数学的トレーニングをすべき人間たちがトレーニングを受けず、つくべき理科系の職業に就かず、しょーもない歴史や文学にうつつを抜かしている現実は国民的に大きな損失なのかもしれない。

で、僕は理科系の学生の方が少ないと勝手に思いこんでいるのだけれど、本来の日本人は、9割が理科系、1割が文化系、というような割合であるべきなのではないだろうかと、blogを書きながら思うのでした。