なぜ山手線の中で一週間も満蒙国境をめぐる戦いを読み続けるのか

津本陽「八月の砲声 ノモンハン辻政信」を読んだ。

1939年、満蒙国境をめぐるノモンハン事件の話だが、小説ではない。なぜ戦闘状態になったか、いかなる戦いだったか、どのような結果に終わったかが書いてあるだけだ。それにしても事実を積み上げていくのはたいへんな作業だったろう。それに付き合うこちらもたいへんだ。行ったり来りで、通勤途中だけではなかなか読み進められない。ようやく読了。

兵站も途絶え銃弾も枯渇した圧倒的に劣勢の戦力で、なお攻撃を命じられ肉弾で戦車に立ち向かう戦場の悲惨さ。日本は太平洋戦争でも物資と補給をけちって前線を疲弊させ同じ悲劇を繰り返す。ノモンハンの負け戦になんの反省もしなかったということだ。

満州国の話で常につきまとうのは軍服公務員たちの野心と保身だ。強がりが先行して、現実を見ない。責任転嫁、情報の操作。もちろん、クズが集まったのではなく、鍛え抜かれ選び抜かれた精鋭の将校たちが集まった結果がこれなのだ。元凶の一人とされる参謀辻政信は戦後も生き残って国会議員になった。

思えば、友軍を見殺しにして無茶な指令を繰り返す司令部と同じものが、今の世の中でもちゃんと流れているものなあ。戦争すると兵士も将官も勇敢で強いけれど、だからこそ負け戦も平気で始める日本人は、戦争はやめといたほうがいいな。

八月の砲声―ノモンハンと辻政信

八月の砲声―ノモンハンと辻政信