なぜ自転車で行く先々で宿の人が留守なのか(佐渡紀行その5)

佐渡のワイドブルー相川は、ごく普通の日帰り温泉施設だが、なかなかのものである。だいいち料金が安い。600円だと云う。平日という事でもあり、空いている。浴室には僕を入れて2、3人しかいない。なにしろ、まだ朝の10時だから。
44km走ったとはいえ、たったの2時間だ。さほど草臥れてはいないが、それでも熱い湯に体を沈ませていると、疲れが飛んで行く気がする。湯質もよろしい。温泉だけあって肌がつるつるする。「床が滑りやすいので気をつけてください」という札が貼ってあるが、「温泉の質の為」という断り書きが書き加えてある。残念ながら露天風呂はない。サウナも午前中は動いていない。あまり長居が出来る条件ではない。

風呂上がりにお約束のコーヒー牛乳を飲む。が、ぜんぜん水分が足りない。さらにペットボトルのアクエリアスを買い、ぐびぐび。だれもいない休憩室で何も考えずにしばらくボンヤリする。外はざんざん降りになって来たようだ。

さて、ここからどうするかが問題である。バスでの移動になるのだが、その乗り継ぎ方がわからない。玄関の壁に貼られた時刻表を睨んでしばし考える。地名が分からないのでチンプンカンプン。中嶋屋の女将さんに教わった通り、まずは近くのバス停から佐和田のバスステーションに行くことにした。そこから小木行きのバスが出ているようだし。
フロントの人は「すぐそこの観光案内所からバスが出ていますよ」と教えてくれた。輪行袋をかついて雨の中を小走りに歩く。しかし、観光案内所ってどこ?さびしいビルにそれらしい表示が出ていたが、ひと気がない。どうもあやしい。バス停の看板が置いてあるので、しばらく待つと、はたしてバスがやって来た。しかし停まらずに行ってしまった。なぜ?よく見ると「降車場」と書いてある。謎は深まる。
通路の奥で作業していた植木屋さんに、バスってここに来ますか?と尋ねたら「ここは裏口だよ」と教えてくれた。どおりで寂しいわけだ。急ごうと通路を歩き出したら、がちゃんと輪行袋が肩から落ちた。留めておいた金具がずれて肩掛けのベルトが外れてしまったようだった。肝心の金具が見つからない。しかたないので直に縛り付ける。で、ひょいと持ち上げたら袋の下に金具がありました・・・。

通路を抜けると、古い役所の受付のようなところへ出た。切符売り場があり、待合室になっている。建物の表側に出たわけだ。ガラスのドアの向こうにさっきのバスが止まっている。あ、あれだ、と急いだがあっさり走り去って行く。ありゃーモタモタしてたんで乗り遅れてしまった。まいったなあ、と雨に濡れていると、同じように乗り遅れたらしい女の人が時刻表を見ている。次の佐和田行きはこの一時間後ですか?と訊くと。欄外の表示を指差して「平日にはこのバスで佐和田まで行けますよ」と教えてくれた。見ればさっきのバスの1分後。1分?へ?と思って振り返るともうすぐそこにバスが迫って来ている!うわあ、たいへん。建物中に置いて来た輪行袋を取りに走る。バスが待っていてくれたのは、さっきの女の人が止めておいてくれたのかもしれない。かろうじて乗り込む。助かった。

バスの外は前にも増して大雨になって来た。やっぱり自走は断念してよかった。町中を走っているようだが雨のせいで風景がよく見えない。10分ほど古い町並みと田園風景を交互に走ると佐和田のバスステーションに着いた。そのカタカナの名前で想像するようなものではなく、小さいコンビニのような店構えの前にバスが止まるだけの小規模なものだ。中に20人くらいすわれるベンチと、切符売り場を兼ねた案内カウンターがある。この町でのんびり昼飯を食べてからバスに乗れば良かろう。とりあえずバスの時間を調べないと。そこのお姉さんに「小木に行くバスはいつ出ますか?」とのんびり訊くと。「小木?あ、今来ました!」と窓の外を指差す。え?と振り返ると今まさにバスが停留所に滑り込んできたところ。「次の便は夕方ですよ」とお姉さんに急かされて、またばたばたとバスに乗る。

このバスは小木行き。コッペパンのたとえで云えば、下のコッペパンの左隅近くである。終点まで行くので乗っていればいいのだ。本来なら海沿いを自転車で走って60kmほどの道を、斜めにバスでショートカットした形になる。一時間ほどで小木の港に到着した。これは遠い。もし晴れていて、自転車で走ったらえらいことだったかもしれない。バス代は400円と800円だった。高いのか、安いのか。

雨の中、小木の港は寂しいかぎり。ほとんど人もクルマもいない。お腹が減った。もう一時半だ。港の前の寿司屋がまだ暖簾を出している。覗いてみたら他に客はいないようだったが、他にあてもない。ランチは寿司に決めた。特上2500円、とかメニューにあるので、この特上って何が違うんですかと訊くと、ご主人が「雲丹が入るんです」と静かにいう。それでお願いして、生ビールも注文。自転車で移動中はビール飲めないからね。テレビでは何でも鑑定団。山で掘り出した木の根っこが200万円!とかいっている。

雲丹、イクラ、鮑、赤貝、エビ、穴子、鰺、白身魚はなんだろう?どれもおいしい。

寿司屋から今夜の宿に電話するが、ずうっとお話中。迎えに来てくれるといいなあ、などと虫のいい事を考えていたがダメだなあ。お店の人が宿の人のいそうな場所にも電話してくれたけど、結局連絡は取れず。まだ3時前だからね。連絡取れなくても不思議ではない。店もそろそろ休憩時間だろうし、ここから遠くなさそうなので、タクシーを呼んでもらった。場所柄すぐに来てくれた。タクシーのトランクに輪行袋を入れたのは初めてで、入るかどうか自信がなかったが、なんとかぎりぎりで納まった。東京みたいにLPガスのタクシーなら、タンクが邪魔で絶対入らないだろう。

5分ほどで宿に到着。宿の名は「花の木」という。雨の中玄関まで歩いて行ったが、鍵がかかっている。呼んでみても人がいない。またかよ〜。

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電話をしても、電波が圏外だ。雨も凄いし、傘もないので身動きが取れない。作業小屋のような建物が玄関の脇にあったので、勝手に入って雨宿りする。小屋の中には陶芸用のろくろが並んでいる。窓がたくさんあってガラス張りなので中は明るい。15分ほど中に座って本を読んでいたら、「すみませ〜ん」と女将さんが現れた。電話もお話中だったでしょう、という。予約の電話がたくさんかかっているらしい。有名な宿だったのか。雨の中でよくわからなかったが、古民家風の建物は風情がある。中に入ると天井は高く、土間の石張りが見事である。とてもセンスがいい。フロントと、食事をする座敷がひとつの空間になっていて、窓が広く明るい。

部屋はすべて離れになっている。傘を貸してもらい案内される。
部屋は広い。10畳に板の間がついているのでなおの事だ。窓を開けると外は一面の稲田である。緑のあぜ道だけが規則正しい。この時は気づかなかったが、あぜ道にはヒガンバナが咲き、田んぼの向こうには海が見えるのである。手前には黄色い花が揺れている。終わりかけの月見草だった。見事な景色に、しばし時を忘れた。

この宿には部屋の風呂はあるけれど、大浴場はない。
そのかわり近くにあるおぎの湯という温泉施設から迎えが来る。料金は390円。安い。湯はとてもいい。さらにつるつるだ。加水はいっさいしていないのだという。とてもいい湯で、窓の外にはおぎの港が俯瞰できる。雨まじりの風景が風情がある。湯上がりにビール。都知事と首相がオリンピックの東京招致プレゼンをしている。エビスビールが330円だ。良心的。

宿に戻って、夕食。他にはひと組客がいるだけ。静かに夜の庭を眺めながらおいしい食事をいただいた。カニがうまい。佐渡は、どこで食べてもごちそうだ。一日の出来事が盛りだくさんだが、これもまた旅である。佐渡である。
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