なぜ納戸の隙間を空けるのにMacintoshを磨いているのか

フィドラーさんのMacintoshを処分する事にした。

フィドラーさんはイラストレーターだ。友達の友達だったので友達になった。20年くらい前、日本に来て、日本文化を研究している奥さんといっしょに国立に滞在していた。背の高い、優しい人で、エッチング絵画の技法が垣間見える緻密な画を描いていた。立ち消えになってしまったが一緒に仕事をしようとしたこともある。

彼らがアメリカに帰るときに、彼が使っていたMacintoshを引き取った。SEというそのモデルはフロッピーのスロットが2つあって、その一方でシステムを立ち上げ、もう一方でアプリケーションを読み込んで保存もできる、当時としては便利なマシンだった。本体のメモリは2MBだった。英語のシステムならそれで十分だった。

日本語が使えないと不便ではあるので、日本語のOS、漢字Talk2.0をこっそり手に入れた。で、本体のメモリを倍増、ハードディスクも入れた。メモリが4MBになり、20MBのハードディスクを入れた。「凄い!もう無敵だね!」と周りで云ってくれたが、今思えば紙で出来た戦車のようなものである。それで、総予算は50万円をとうに超えていた。

でも面白かった。買ってよかった。HyperCardという面白いアプリケーションがあって、自分でデザインやしくみをあれこれいじれた。仕事の役には立たなかったけど、楽しかった。あの頃、Macの世界への敷居はとんでもなく高かったから、このSEがなければあれからも長くワープロ専用機ユーザーのままだっただろう。

Appleの戦略に付き合いつつ、あれから何台も買ったMacは買い替えのたびにしかるべきところへ引き取られて行ったけれど、このSEだけはとっくに引退したのに納戸に残っている。でも、もう使って遊ぶ事もないだろうなあ、と観念してちょっと掃除してみた。引き取り手を捜さないと。

もう区ではコンピューターを粗大ゴミとして引き取らないらしい。Appleのサイトで調べたら、引き取りは4200円だそうである。もちろん僕が払うのである。