なぜ夏時間の庭を見ながらぐずぐず妄想しているのか

最近見た映画の話。

夏時間の庭
原題はL'Heure d'été、フランス語で「サマータイム」のことらしい。邦題にするときに一番印象的な場所の「庭」をくっつけたんだな。
でも正直なところ、タイトルと内容がしっくりくるのは映画を見終わってからだった。

フランス郊外の村、美しい森と庭を持つ広大な敷地に立つ邸宅。ここに独りで住む老いた母親の元に、今年も兄、姉、弟の三兄弟が、それぞれの家族を連れて集まる。父は子供たちが幼い頃この世を去っている。この邸宅は母の叔父のアトリエだったのだ。母の叔父もすでにいないが偉大な芸術家であり美術品の収集家でもあった。家の中には美しい家具や、貴重な美術品が無造作にあり、ふつうに飾られ、ごく自然に使われている。母親は長男に、自分の死後財産をどう処分してほしいかを告げるが、長男は反発する。「思い出のあるものを処分なんてできない」母親は寂しそうだが「あなたたちはあなたたちの人生を生きて頂戴。」そして一年後、大叔父の回顧展で世界を回ったあと、母はこの世を去る。残された兄弟は・・・。という話。

オルセー美術館の20周年記念の作品、というだけあって登場する美術品などはすべて本物!というふれこみ。だからどうしたぁ
、というところですが実際見てみると本物の説得力はものすごいものがあります。家具の中があんまり整理されてないというよりごちゃごちゃにいろんなものがつっこまれていたり、机の上が書類だらけだったりするのだけれど、美術館で美しく陳列されているよりもはるかに活き活きして見える。

美術館って素敵でしょう、という話では全然無くて、最悪の状態を避けるための最後のぎりぎりのシステムとして美術館はあるべきだという話のように見える。美術館にしまってあるのは「美」ではなくて時間を冷凍したようなものなんだなあ。もちろん一般社会にとって価値があるもので、持ち主にとっては思い出の死体というべきものだけど。

劇中では、美しい老いた母親は叔父と秘密の愛人関係にあったと仄めかされる。未亡人が三人の子供を、経済学者、世界的に売り出し中の陶器デザイナー、フランスを代表するスポーツメーカーのエリートサラリーマンに育て上げたのは、叔父の援助や財産があってのことだろう。普段はパリに暮らして、夏をこの家で過ごしたのではないか。叔父の死後、その美術の番人として、愛の思い出とともに生きたのだなあ、あの「ばらばらにしないで」と遺言されたスケッチブックのデッサンの多くは若き日の母親か、などど映画を見終わったあともどこまでもしつこく勘ぐってしまうほどよくできた映画です。

テアトル銀座で見ました。
http://natsujikan.net/index.html