なぜプリウスのモデルチェンジでも食欲がわかないのか

トヨタのスズキ君が新型プリウスのカタログを届けてくれた。

スズキ君はいいやつで、もしもクルマを買うときは声をかけようと思う。プリウスも、カタログを見る限りでは、なかなかいいクルマだ.
しかし、我が家は9年前に君から買ったヴィッツで間に合っているのだ。不景気な客で申し訳ない。

それにしても我が家に「住宅ローンと教育費」という重圧がなくなったとしても、クルマを買うことがありうるのだろうか?
そこでクルマを買いかえる動機について考えてみた.

公共の交通機関が家の近くにあり、特に不自由がないとしたら自家用車は実用品ではないだろう。
我が家の場合、以前住んでいた場所では車がないとちょいと不便だったので、今の家にも特に考えず駐車スペースを設けた。でも、結論を言えばクルマ要らなかったね。そのぶん庭を広くしたほうがよかったかも.(来客には不便になるけど)

たしかにヴィッツは小さい子供たちの送り迎えには活躍して、いまも便利に使っているけれど、それだけのために自家用車がいるのかなあ。買い物にちょっと離れた安いスーパーに行ってみたりもするが、家にクルマがあるから遠出してみるだけであって、必要があるわけじゃない。都内で買い物をするときは電車に限る。荷物が多ければ配送を頼むか、タクシーで帰っても運賃は知れている。

レジャーという側面ではどうか。僕はキャンプが好きなので、郊外のキャンプ場に出かけるには車は必要だ。でも、そういうときはレンタカーでも良いよね。そのほうが大きい車を使えるし、人数に合わせて選べる。キャンピングカーという手だってあるかもしれない。場所は限られるけれど河口湖のPICAみたいに手ぶらでいけるキャンプ場もある。電車で行けばいいのだ.

ドライブが楽しい?
たまにすると運転も楽しい。いいエンジンのクルマならなおのことだが、そうでなくても好きな音楽をかけながら知らない場所まで行ってみるのは愉快でだ。時間も自由に使えるし、なかなか行けない場所で果物狩りとか、気ままに楽しめる。おいしいものを食べて満足した子供たちがグーグー眠っても問題なしだ。お土産もトランクにいっぱい詰める。でも、そんな機会は年に何回かしかない。電車で出かけて、現地でレンタカーという方が渋滞にも巻き込まれない。

ファッションとしてはどうか?
若い頃は車を持っているということはファッションの一部だったかもしれない。人が載せられ、荷物が運べて、どこへでも行ける、つまり実用性が高いということを自由が広がったと感じていたし、それがクルマを持つかっこよさでもあった気がする。車がなければできないイベントにかっこよさを感じていたのだと思う。大人になりたての頃はそういうこともあるかもしれないが、おっさんになると「ああ、俺ってかっこいい」と勘違いすることはない。
スポーツカーや高級車を「乗り回す」というのもファッションの一部だろう。有名なブランドの、デザインの美しい車に乗るとモテたりモテなかったりということも、世の中にはあるのかもしれないが、もちろんこれにも僕にはあまり関係がない。
とはいえ、いまだにいかついクルマに人気があるのは「威張り」が世の中で有効だからなのかもしれない。いまさら見栄を張ってみてもしかたないし、男を売るような立場でもないので、そういう道具としてのクルマは僕には要らない。

車好きだっけ?と問われると、実は結構好き。
なにしろ高度経済成長の時代とともに大人になったので、モータリゼーションの発達を具に見ている。友達の家にあったいすずヒルマン・ミンクス、日野ルノー4CV、日野コンテッサオペル・レコルト、みんな好きだった。免許を取ってからずーっとクルマと暮らしてきたのだから、嫌いなわけがない。国産も外車も、いいところも悪いところも、ひっくるめて車好き。NAVIは創刊号から読み始めて名物編集長が他誌に移るまで読み続けていたし、いまでも歯医者の待合室や床屋では自動車雑誌を読む。だから道楽としてのクルマなら、いつでも欲しい。いつでも新しいカメラが欲しいのと同じ感覚。

最後の理由以外に、僕がクルマを買いかえる動機はないのがはっきりしてしまった。
わるいなあスズキ君。