なぜ選択の自由に異議申し立てをしてはブウブウ言っているのか

選択肢は多いほどいい、というのは間違っている。と、ある大学の先生が言う。
わが意を得たり、と思った。

「選択の自由」が世の中にどれほど多くの不幸を生み出しているのか。最良の選択肢を選ばなければ、という強迫観念がどれほど人を苦しめているのかは、常々僕が考えていることであった。それを具体的に、研究者が考えてくれてありがたいなあ。

重ねて、この先生が云っていることで、あ、そうだったと思うのは「選ばれるべき合理的な選択肢が存在する」という前提が、そもそも間違いだということだ。そうなんだよ、これがいつも気になっていたんだよ、幻影なんだと、思わず膝をたたく。ぽんぽん。

それに、実はそんなにめんどうな選択すると言う行為は、新しい何かを作り出すことじゃない。あらかじめ存在するものを選ぶだけ。買い物に似ている。おいしそうなポテトチップを発見して、買って帰って、ぽりぽり食べてゴキゲン。ああ、いい買い物をした。おれって正しい買い物をしたという達成感。満足感。でも、実は何も作り出していない。しかも、それが最良の選択だったかは、結局はわからない。

ホテルのパーティ、ビュッフェスタイルであれもこれもと選んで皿に盛る。あれが面倒でたまらない。好きな料理を好きなだけ取って、勝手に食べなさい、ってなんだかとても不幸な気がする。結局、ろくに食べられないまま会場を出て、帰り道でラーメンを食べたりする。
思えばレストランで注文をするときにいちばん嫌なのはサラダのドレッシング選び。フレンチでも、イタリアンでも、サザンアイランドでもなんでもいいからいちばんおすすめは何なの?ああ、考えるのも面倒。無理矢理選んだあげく、それで不味かったら自己責任。それも嫌な理由なのかも。

選択の自由は人間を不幸にするね。

でも押し付けられるのは大嫌い。気難しいオヤジですみません。

生きるための経済学 〈選択の自由〉からの脱却 (NHKブックス)

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