なぜ漫画の評論を読んでわくわくしたり反省したりするのか

versaloft2008-01-28


いしかわじゅん漫画ノートが出た。

いしかわじゅんの漫画評論は温かい。
誰もが、漫画は漫画で、作者はただの作者だとしか見ていないが、いしかわじゅんはちがう。

僕らは漫画に物語を見る。いしかわじゅんは作者の中にも物語を見ているのだと思う。

どんなジャンルにも、関わる人間は青春を賭けているのだと思う。進んで賭けている場合もあれば、否応なく賭けている場合もある。知らずしらず賭けてしまう場合もあるだろう。漫画は、他のジャンルに比べて残酷までにそれが顕著だ。誰かの手助けも必要だけれど、結局は個人の力が行方を左右するからだろうか。いしかわじゅんはそれを知っているので、作者本人が自覚しない覚悟や才能までも見抜いて指摘してしまう。そして、この本はそれを観客席にいる僕らにも伝えてくれる。前作、「漫画の時間」にも増して、この本のパワーは強い。

それにしても漫画家本人が主人公になって動き回る漫画の嚆矢は手塚治虫以降、石森章太郎、真崎守、宮谷一彦と多いけれど、私小説ならぬ私漫画ではいしかわじゅんが現代の筆頭だ。でも、なぜかマニアにしか売れなかった。それを本人は「日記だったから」と自覚しているようだけれど、それは違うと思う。冷静すぎる私漫画は感情移入が出来ないからだ。けらえいこ内田春菊の狂気が、いしかわじゅんにはないと思う。弱く、狂った主人公にこそ、読者は共感を持って歓迎し、進んでお布施を投げるのであるから。

しかし、この漫画評論に対する姿勢は尋常ではない。この力作に僕はお布施を投げたい。