なぜ劇作家の本を読んではげらげら笑ってしまいにはしみじみなのか

宮沢章夫は劇作家だ。

そんなことは僕が言う前から知っている人は承知しているし、知らない人は興味がない。まして本人は僕などに決めつけられたくないだろう。でも、僕はこの人の名前をだいぶ前から知っている。

最初に宮沢章夫の名前を知ったのは渋谷のジャンジャンでシティボーイズの切符を買ったときだと思う。シティボーイズとはなにかと言うと、そんなことは僕が言う前から(後略)。当時まだシティボーイズはまだテレビに出るほどメジャーではなかったが、僕の周りでは面白いという評判だった。それまでに何度か見て面白かったので前売り券を買ったのだ。その時のタイトルがこうだった。

「ハワイの宮沢君」

なんだそれは。全く分からない。で、結局当日に見た芝居はハワイも何も関係なかったと記憶している。いや、記憶していないから関係ないと思う。その時に脚本家(作者というべきか)の名前を覚えたのだ。それが宮沢章夫だ。面白かったかというと、それはもうメチャクチャ面白かった。その後、ラジカルガジベリンバシステムに至るまで、暇に飽かせて通ったモノだった。面白いだけではない。格好良かったんだ。

ラジカルガジベリンバシステムの終盤はなんだかトレンドっぽくなってきて、一方僕も仕事も忙しくなってきて、前売り切符もパアにすることが多くなって、演劇からどんどん遠くなっていったのだった。でも宮沢章夫の名前は覚えていた。

不思議なところでその名前に巡り会った。MacPowerというMacintoshユーザー向け雑誌である。この雑誌はちょっと変なところがあって、川崎和男という気骨あるデザイナーが連載を持っていたり、テクニカルライターにも妙に文章力のある人がいたり。その中で最も異色な執筆者が宮沢章夫だ。とにかくMacの話をしない。しているように見せかけて、実はしない。あたかも初代編集長の時代のNAVIでクルマの話をしない執筆陣のようだった。

あれはつまりエロ漫画だね。
いしかわじゅんが書くとおり、エロが入っていればなにを書いてもよかった。NAVIもクルマの話が入っていれば政治でもファッションでも何を書いてもよかった。同様にMACPOWERにはMACがちょっとでも顔を出せば何を書いてもよかったんだろうなあ。だからあんなに面白かったのだ。自由があったのだ。

先日本屋に行ったらこんな本があった。

アップルの人 (新潮文庫)

アップルの人 (新潮文庫)

MACPOWERに連載したものを再編集したらしい。
この人の書くことは他人事に思えない。Macを欲しいと思ったり、悩まされたり、喜んだりすることが、全て書かれている。あっという間に読んでしまった。で、やっぱりこの人は自由なんだ。また芝居が見たい。でも自分が見たい芝居とは限らない。なにしろ自由なんだから。