なぜダスティンfホフマンの映画を見ながら当時のアメリカのパターンに酔いしれるのか

versaloft2008-03-12


ビデオで「卒業」を見た。

ダスティン・ホフマンの「卒業」だ。1967年の映画らしい。古〜。僕は渋谷の全線座で見たような気がするが、よく憶えていない。誰と行ったのかも憶えていないから、ひょっとすると見た気になっているだけなのかもしれない。

これからロースクールへ進むエリート候補生のダスティン・ホフマンが、アン・バンクロフト扮するMrs.ロビンソンに誘惑されて道を踏み外し、さらにその娘のエレーンに夢中になってずるずるに・・・という野放図なお話。真っ赤なアルファロメオのスパイダーを進学祝いに買ってもらっているようなボンボンが、恋愛で暴走するとこんなにエラいことになるのか、という話ではありませんが、アメリカっ子純情、な話。ほとんどの人は教会の結婚式での花嫁略奪のシーン、それもパロディでおなじみだろう。話は面白いし、実験的なシーン展開も多くて、今見ても当時の新しさが感じられます。人物像は今となっては類型的な気がするが、だからこそわかり易いのだ。

ダスティンホフマンと云えば「真夜中のカーボーイ」。アン・バンクロフトといえばメル・ブルックスの奥さんだ。彼女は数年前に亡くなったと思うが、惜しい女優さんでした。

そういえば「ある愛の詩」の主人公もエスタブリッシュメントの息子さんで、学生ながらMGだったか、オープンカーを乗り回していたのであったなあ。アメリカのどら息子のイメージって貧困だなあ。