なぜ初詣にでかけて和服でピザを食べているのか

versaloft2007-01-01


あけましておめでとうございます。
一年の始まりはなにか誓いごとをするものらしいが、あっというまに経ってしまう一年では如何ともしがたい。せめてまた一年無事に過ごすことを願うばかりである。西岡たかしさんが言うには「成長というものは自分では止められない」そうだ。たしかに年をとってくると自分の意思だけで停まるわけにも行かない。しだいに自分周辺が動く勢いに押されて進しかなくなる。そんなことも含めて、微力前進できればいいなと思うのであります。

例年なら除夜の鐘を聞きつつ、近くのお宮まで初詣に出かけるのだが、今年はなぜか紅白も終わる前に夫婦で沈没して、朝までぐっすり寝てしまった。おかげで眠気とは縁遠い元旦になった。
今年もあいかわらずのお節。でも一つだけ違うのは伊達巻きが長女の担当になったことだ。なかなか美味しく、色も綺麗で、上手に出来ました。ぱちぱち。黒豆はヨメの作品で、これも良くできました。

初詣は明治神宮。いつもなら参宮橋からの参拝はさして並ぶこともないのだが、今年は違って、ずいぶんな人の出で、大勢の行列になって賽銭箱にたどり着くまで一時間ほどかかってしまった。今年は正月が短いぶん、東京で正月を過ごす人が多かったのかも知れない。

お参りのあとは原宿へ出る。もうおなかが減ったというので元旦から開いているシェーキーズへ。ピザを肴にビールを飲んで窓の外を眺めていると、晴れ着を着た人や、観光客とおぼしき人が大勢表参道を行き来する。平和な風景だ。大それた成功とは無縁だけれど、今年もこうして家族でのんびり出来ることに感謝するのであります。

ところで、元旦早々開けているお店は福袋の販売にも熱心なようだ。沢山の人が大きな紙袋を持っているのが見える。福袋というものは自分に都合のいい夢を見る人が買うものだと思うが、がっかりのダメージに強い人々だとも云える。僕はどちらでもないので産業廃棄物をお金を出して引き取るような器量の大きいことはできないのだった。
渋谷まで歩いて帰る道すがら、古着屋さんの福袋が、中身が入ったままいくつもうち捨てられていた。古着屋さんの福袋、古本屋さんの福袋、古道具屋さんの福袋・・・どれも買う気にならないが古着屋さんのは存在した。それだけでも収穫だ。捨てられた中身がどんなものなのか、確かめたい衝動に駆られたが、抑えることが出来た。大人になったなあ、僕も。