なぜ読書の記録をblogに書いておくと便利だよなあと思うのか

blogは習慣だから、書かなければ書かないでご無沙汰してしまうものだなあ。ましてはtwitterで呟いていると気がすんでしまうようだ。
そういえば読んだ本のことも書いてない。では、思い出しながら。

「明治の人物誌」星新一
明治の人物誌 (新潮文庫)
伊藤博文後藤新平野口英世などの人物伝だが普通の歴史、偉人伝と異なるのは、登場する人物が有名無名を含めてすべて星新一の父星一の交友関係であることだ。だからこそ通俗的解釈ではなく生き生きと描かれる。放蕩の限りを尽くすが特別有能、というような人物の話こそ面白い。


「純情ババアになりました」加賀まりこ
純情ババァになりました。 (講談社文庫)
「月曜日のユカ」や「乾いた花」のかっこいい女優の発見者は篠田正浩寺山修司だったのか。10代でデビューして稼いだ大金を20歳の時にパリに滞在してトリフォーやゴダールと遊びまくって使ってしまう話や、川端康成との交遊など、まわりを振り回して、わがままに振る舞う様子が痛快。


「蘆屋家の崩壊」津原泰水
蘆屋家の崩壊 (集英社文庫)
怪奇小説の短編集。語り手は30過ぎて定職を持たないし特別な能力もない人物でヒーローでもなんでもないのだが、その豆腐友達の作家「伯爵」とのコンビがなんとも絶妙である。すべての話の風景が無駄がなく、しかも饒舌でいい。「超鼠記」がいちばんドライでいい。



意味がなければスイングはない村上春樹
意味がなければスイングはない
JAZZを中心にしたミュージシャンについてのエッセイ集。音楽の話はCDが買いたくなっていけない。amazonの配達の人が忙しくなる。村上春樹が好きな物を語る時はどうしてこんなに伝わってくるのだろう。しばらく離れていたけれど、またこの人の小説が読みたくなってきた。