なぜ箱根駅伝を観ながらあっさり一升飲んでしまう一族なのか

家族親族が揃う新年会は貴重なものである。誰か一人具合が悪くても揃わないのだから、家内安全は有り難いものだ。

おかげで今年もそろっておめでとうが言えた。御節、雑煮、持ち寄ったご馳走と酒で機嫌よく過ごせた。笑って始められる一年でよかった。お年玉がもらえる娘たちも幸せだ。カルタ遊びにもつきあってもらえたし。

たまたま手に入れた日本酒が美味かった。福岡は八女のお酒で、名を「繁枡」という。燗にすれば美味いと言うことだったがその暇もなく一升瓶が空いてしまった。父方の曽祖母はやはり福岡の造り酒屋だというし、飲ん兵衛の一族なのだろうなあ。

飲みながら、箱根駅伝観戦。母校が善戦して嬉しい。
テレビ局もあの電波の届きにくい山中にあって、見事な中継。暮れの箱根旅行の時も、中継車がリハーサルをしているのを見かけたが、入念な用意をしているのだろう。気になるのはレース以外の映像の煩わしさだ。つい「番組」としてつくりたくなるのは制作に携わる人々の気持ちとして理解できなくはないが、レース中に駅伝の歴史や名シーンより、今走っている選手たちをもっと見たい。たすきを渡した直後の選手を追ったカメラがとてもいいカットを撮っていて、ますますその感を強くしました。