なぜ子どもの頃の記憶がよみがえる場所がもはや史跡なのか

昨日はバンドの練習で府中へ。

なんとも練習不足で他のメンバーには申し訳ない事です。昔みたいに毎日吹ける日々があったら、もうすこしまともになるのだろうか?

それでも朝から夕方まで練習して、最後はへとへとに。

府中の駅まで帰って来たときに、昔済んでいた家のあったところが史跡になっているという話を思い出した。もちろん我が家があったから史跡になった訳ではなく、我が家はながらく史跡の上にそれと知らずに住んでいたということだ。
駅からも近いので、そのまま歩いて行ってみる。

大国魂神社という大きなお宮の脇に我が家はあったのだが、その跡地が「武蔵国衙跡」という史跡になっていた。既に公開時間は過ぎて門が閉まっていたが、周りの柵は素通しなので、様子はよくわかる。付属の資料館も建っているので、こんど家族を連れて来てみよう。

久しぶりに来てみたのであちこちの建物はすっかり変わっているものの、神社の森はそのままなので、とても不思議な懐かしさだ。神社の森も子ども時代にはずいぶん広く感じたけれど、実際にはちょっと広めの野球グラウンドぐらいかなあ。